Thursday, June 29, 2006

blog - 最高の4年間がはじまる

『オシムの言葉』、今日買って、今日読み終わった。

間違いないよ、きっと。名将の下で、優れた人格を持つ人の下で、働き暮らすことはどんなに素晴らしいことか。すべての日本人はこの4年間でとてつもないことを学びうるだろう。トップによって組織がとれだけ好転し、その人生が実り多いものになるかを。

Wednesday, June 28, 2006

blog - 明日は晴れかな?

明日は晴れかな?

blog - 『若きウェルテルの悩み』について

ブログというのは面白いメディアだね。日記のようで、まあ日記だ。10年後ないしは30年後、これを見たときの感動を思うと、いろいろと書いてみたくもなる。それはそうとこのブログを誰が見ているかは既に知らない。知人、友人に教えてきたけれど、既に旅行記の範疇からは外れている。

『若きウェルテルの悩み』は、わたしの生涯の中でも、カバーがボロボロになるまで読み込んだ数少ない本のうちの1つだ。大学の1年のときくらいに出会い、もろもろの成長とともに、ウェルテルの悩みに共感などしたっけ。

ゲーテはすごいと思う。すごい文章を書く。新潮文庫の『若きウェルテルの悩み』の訳者は素晴らしい翻訳をしたけれど、今英語で読んでいるんだけれど、躍動感というか、理知的というか、情熱的というか、何度読んでもその文章に飽きが来ない。飽きが来ないというか、ますますその輝きが増しているようにすら思える。

聡明な青年ウェルテルは、婚約者を持つロッテとの運命的な出会いによって、彼は彼の人生を生き、そして小説の後半で自らの死を選ぶ。そういう単純なストーリーだけれど、この本は書簡形式になっているんだけれど、彼が書く様々な文章が若いわたしにもとても刺激的だったし、今読んでも、素晴らしい洞察力を持って書かれたものであるということがわかる。

『若きウェルテルの悩み』は、70年後、わたしの生涯を終えるときに振り返っても、最も素晴らしい本の中の1冊に選ばれていることだろう。なら言おうか。彼の青春のほとばしりを。彼の才能の一片を。彼の素晴らしく、研ぎ澄まされた文章力を。わたしは彼のような文章を英語でいつか書いてみたい。

「幸せなのは毎日自分に向かってこういえる人だけだ。お前は友だちに何もしてやることはできないぞ。友だちのたのしみの邪魔をせず、友だちと一緒になってたのしむことによってその幸福を増してやる以外は。それともお前は、友だちの心がせつない情熱に苦しめられ、愁いに揺り動かされているときに、一滴の鎮静剤を与えてやることができるのか。」


まったくトンチンカンな抜粋だけど、この本を何十回朗読したか知れない。だから英語の本を読むときも、難しい単語を調べつつも、すんなりと頭の中に入っていくのだ。この本に出会えたことを感謝したい。何十回も読むに値して、しかも声に出すことに何らの躊躇もしないような素晴らしい文章で、これほどわたしに価値を与えた本はない。

blog - ブラジル戦の日、徹夜した理由(わけ)

日本語ブログと英語ブログの投稿の数は現在3対1くらいだ。1年後には逆転していることを願おう。さて、ブラジル戦の日、結局徹夜で出勤して、来客とかあったからかなりつらかった。もういい年なんだから、規則正しい生活が生み出す心地よい継続性(?)を掴むこと。

なぜって、イタリア対チェコ戦の後、寝ようと思ったんだけど、寝れなかったからだ。なぜ寝れなかったかというと、今の家でTVが映らなくて実家に帰っていたんだけど、その実家で、昔読んでいた『エースをねらえ!』を熟読してしまったからだ。気づいたらもう日本対ブラジル戦がはじまる直前だったからだ。

『若きウェルテルの悩み』など、わたしの人生に強烈な影響を与えた本は少なからずある。ただそれは、太宰治やゲーテやトルストイなどの文学作家に限られると思いきや、実はこの『エースをねらえ!』などの漫画も含まれているのだ。見ていない人は見るといい。上戸彩のドラマなんかと一緒にしちゃだめだよ。

号泣というか、泣いていないんだけど、なにか号泣してしまうのだ『エースをねらえ!』を読むと。久しぶりだったというのもある。しかも宗方コーチが亡くなってしまう直前から読み始めたというのもある。岡ひろみが泣き崩れ、そこから復活する話というのもある。

さすがに30代という成熟した目であの漫画をみると、構成や脚本にいくつかの欠点を見出すことはできる。しかしあの作品の根底に流れる確固たる思想は、もうしばらく、おそらく50代くらいまでは、わたしを度々感動の状態に押しやるだろう。それくらいちょっといいのだ。

この作品の根底に流れているのは人間性への描写であり、極みへの挑戦についての過程の描写だ。素晴らしい人格と、素晴らしい関係を高らかに謳った文芸作品だ。人はいかに生きるべきかといった根本命題に対してのテニスという媒介を使った作者からのメッセージだ。

度々、次の詩が登場する。

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この一球は

絶対無二の一球なり

されば身心をあげて  

一打すべし

この一球一打に

技を磨き

体力を鍛え

精神力を養うべきなり

この一打に今の自己を発揮すべし

これを庭球する心という


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もう言うことはないでしょう。人生というのは複雑怪奇で、しかも一本通っている。

Tuesday, June 27, 2006

blog - もうすぐ日本に史上最高の監督が来る!

オシムです。

まだ『オシムの言葉』は未読だけど、オシム語録は読み尽くした。そしてジェフサポーターの賛辞の言葉を聞いた。そして彼の経歴と、哲学を肌で感じた。

間違いなく、彼は今までで最高のチーム日本の監督になる。これについてはわたしを信じていい。ジーコのときに感じた言いようのない虚脱感とはまさに正反対の気持ちの高ぶり。

わたしは人を見る目があるのですよ。もうこう断言していい。素晴らしい4年間が始まる。わくわくしていい。きっと素晴らしいことが起きる。結果なんてどうでもいい。素晴らしいことが起きつつある、そういう感覚だけで、もうどうしようもなく満足な気持ちになる。


オシム・ジャパンの初戦になるであろう8/9は、わたしの手帳に二重丸でマークされた。Let's go!

Wednesday, June 21, 2006

blog - フィジカルエリアについて

健全な精神は健全な肉体に宿る。


これは確かなことだし、健全な精神生活を送りたいのであれば、健全な肉体を生み出すような健康的な生活を送る必要がある。菜食をしていたとき、100歳まで生きることは実に容易なことのように思えた。そして100歳までの人生を、生き急ぐことなく、着実と、一体どんなことまで可能なのかと興奮したことを覚えている。

菜食生活は終わったが、適切な食事と適切な睡眠をとっていかなければならない。お酒を飲むとタバコを吸ってしまう悪習は直ちに止めるべきだし、同時に、飲酒というものに対しても、何か抜本的な対策をとらなければなるまい。1日6時間以上の睡眠を必ずとり、生の野菜と果物を中心とした適切な食生活を送り、1日100キロを駆け抜けられること、ヨセミテの断崖をよじ登れることを目標に力を溜めていきたい。


やることは決まっているんだし、もうやるべきだ。12aなぞ軽い。

Tuesday, June 20, 2006

blog - 英語戦略

今日は節目の日だから、いくつかまとめておきたい。まず英語に関する戦略を。

大目的は世界言語たる英語を自由自在に駆使して、いろいろなことを成し遂げるための土台作りをすること。20代は特定の分野に特化した能力より、汎用性をもった基礎的な能力を手に入れたかった。この基本方針の下、IT、マネジメント、コミュニケーション、野菜及びフルーツ、そして英語を学習してきた。

20代で収まりきらず、30になっても英語の勉強を続けざるを得ない境遇に追い込まれたが、まあ2年くらいは神様も多めに見てくれるでしょう。ということで今年の今後の英語戦略を改めて書いておく。

1. CNN on iPod
2. Writing and Speaking → 英検1級合格
3. 主言語を英語に


1と2はいいとして、主に使用する言語を英語にするようなドラスティックな改革を自分の中に起こしていきたい。今ボキャブラリーを再構築しているから、これが終わったら買い込んだ洋書をすべて読みきって、いよいよ専門分野に英語力を活用して切り込んでいきたい。機は熟して、あとはどのリンゴを手に入れるかを選択するだけだ。うーん、分野別にもうちょっと詳しく書いてみたい。

1. Listening
2. Reading
3. Writing
4. Speaking


1. Listening
まだまだだ。Nicholeとの英会話でも、彼女に本気でしゃべられるとすぐについていけなくなる。N氏にもまだ大きな差を空けられている。CNNも細かいところが全く理解できていない。今日Ajaxに関するTalkを聞いたのだけれど、頭に直に響いてこない。課題は多い。対策としてはボキャブラリ構築と、その他の3分野の成熟を待つしかない。いろいろな、例えばTOEFLの教材や、Word Smartなどの本気のマテリアルを真剣に聞いていこう。

2. Reading
目の前に本棚がある。日本語の本が9割に、洋書が1割だ。そしてその洋書のうち7割くらい未読だ。こいつらをボキャブラリ構築のあとに読み込もう。政治経済と、ITと、心理学と、ロッククライミングが主な分野だ。溜め込まれたHarvard Business ReviewとBusinessWeekもとりあえず全部目を通そう。そして次はTimeを定期購読しよう。靖国問題や北朝鮮問題を英語でディベートできるくらいに世界に通じなければならない。

3. Writing
日本語ブログはもういいや。英語でブログをやっぱり書いていこう。1年続ければ、1年後にはより洗練された文章を書いているに違いない。Wertherの朗読も欠かさずに続けること。このような文学作品に常に触れることによって、自分が書きたいような、自分が表現したいような文章がいつか書けるようになる。いつかは詩も読んで、詩みたいなものも書きたい。これもボキャブラリの再構築と文法知識の再取得が大きな前提となる。頭をクイックな状態にしなければいけない。

4. Speaking
次の1年で最も目覚しく進歩をとげるのはこのSpeakingになるだろう。半年前は赤子のようで、基本的な文型さえも言葉に発することができなかった。しかし、赤子が言葉を発し始めるときのように、小学生が徐々に高度なことを話し始めるときのように、わたしはSpeakingに特化したトレーニングを重ねてきた。まだまだそれは不十分だが、それらの効果は既に表れ始めているし、絶え間のない不断な努力こそが、明確な方針と戦略の下、徐々に成果を出し始めるだろう。


英語はホント早く終えて、ひも理論か人間性の研究にもっと時間を使っていきたい。以上

Monday, June 19, 2006

blog - クロアチア戦




六本木のアイリッシュパブで見ました。日本、まあ頑張ったとは思う。世界の壁は厚いよなあ。

サッカーについてはもう多くは語るまい。ブラジル戦で課題を洗い出して、あとは4年後の南アフリカだ。川淵キャプテン?の迷走ぶりは気になるけれど、サッカー協会がベストなチョイスをしてくれることを願って止まない。

しかしジーコジャパンの戦略を表す「戦略なき戦略」とは?もういい加減にしなさい。そんな戦略が適用できるのはサッカー狂国のブラジルかアルゼンチンくらいだ。ビジョンとしての戦略が、どんな組織体にも必要なのだ。

ユニフォームをオフィシャルショップで1万円くらいで買ったよ。4年後も使おう。いずれにしても、強いディフェンスラインを作る、中盤では真に能力のある人材を起用する、FWの才能に頼りきらない、「戦略なき戦略」で選手に迷いを抱かせない、といったところが必要になってくるんだと思う。以上

blog - 第122回TOEICテスト結果

915点予想のところが855点だった。惨敗。

Listening 455
Reading 400

Total 855


得意のReadingがよもやの400点で、新TOEICを少し甘く見すぎたのだと思う。Listeningも過去最高得点だけど、過去最高に聞き取れていただけに、もうちょっといい点数がとれればよかった。まあ、900点とれなかったから、9月くらいにもう一回受けます。

でも、TOEICの勉強で得られるものは本当にわずかなものになりつつあるから、今度英検1級を受けてみるつもり。英検1級に合格するくらいの単語力と、ライティング、スピーキング力をつけて、一回り大きくなって帰ってきたい。もういい加減にするべきだ。

Friday, June 16, 2006

blog - 学ぶことの素晴らしさについて。アブラハム・マズロー

ここ最近、英語の勉強ばかりしてきて、英語を学ぶというのも確かにいいんだけど、もっと違う何かを「学ぶことの素晴らしさ」について忘れていたように思う。

というのは、今日寝しなに、わが敬愛する高名な心理学者アブラハム・マズローの著書を読んでいて、久々にこの「学ぶことの素晴らしさ」を実感したからだ。

「学び」にはいろいろな種類がある。例えば英語を学ぶことや、成功と失敗から人生を学ぶことや、人々との付き合いから人間関係を学ぶみたいなような種類がある。

今回ここで言及したいと思っていることは「自らの精神をより高め、アイデンティティをより確立させ、人生をより実り豊かに歩んでいくような学び」(№ 319 ← うそ)のことだ。

ここ数年恋人がおらず、30過ぎても結婚せず、時に変わり者だと揶揄される。それが一体どうしたというのだろう?わたしは愛し愛されるよりはむしろ超越し、もちろん求められれば愛し(?)、ただ、自分の内面から湧き出る本分に忠実に従い力強く生きようと欲しているだけなのだ。

ほら見ろ!マズローなどの精神的に豊かな本を久しぶりに読むと、わたしはわたしに対して自信を持ち始め、現在の志向自体には何らの誤りを持たないことがはっきりとわかり、成長への欲求というわたしの内部に確かに存在する明確に認識できる最も信頼できる拠り所のうちの一つが、より強く魅力的なものに映るのである。自分が確かなものになるのである。


これを学びといわずに何と言おう。この感覚を忘れずにいきたい。

blog - 日本のサッカーと野球 - 「インフラ」の重要性

野球は強いんだ。なぜならそれは、日本の選手はうまくて経験が豊富だからだ。インフラ、すなわち甲子園出場を目指す全国の何千校もの高校、リトルリーグ、社会人野球、プロ野球、そして何より野球というものに対しての歴史/文化が整っているからだ。

アメリカにはパワーとスピードでは到底かなわないのだろうけど、少なくともバントやグラブさばきでは日本のほうが上だろう。WBCはそれを証明した大会だったし、たとえ優勝できなかったとしても、日本のこの強さを十分に実感できた大会だった。

それとは違うのだよサッカーは。中田は確かに天才だったが、世界の一流選手の中では並みの存在だ。それに比べてイチローや大塚は、大リーグでも十分に一流としてやっていけている。インフラがピザのパイと東京ドームぐらい違うのだ。競技人口もそうだし、野球/サッカーというものに対しての全国民を含めた文化というものが決定的に違うのだろう。

「インフラ」というものは極めて重要な概念だ。これはサッカーなどのスポーツにとどまらず、経営、集団、人類、社会というものに対しての広範な認識を持つ上での重要な考え方になる。ローマの時代にはこう言われていたっけ。「すべての道はローマに通ず」。ローマ街道というインフラが、ローマ帝国の繁栄を強烈に支えたのだ(詳しくは『ローマ人の物語⑩』を参照)。


個人も一緒。健全な精神は健全な肉体に宿る。以上

blog - 「精神性」の危険

ジーコジャパンが精神力だとか、貢献度だとかを強調しているのをみて、「これはやばい」と思っていた。もちろんこれらも重要で必要なことだけど、それは「最後に来るべきもの」なのだ。日本が太平洋戦争で敗れた理由は何か?それは精神性を強調しすぎて、「科学」を軽視したことに他ならない。

「科学」とは合理性があるものの見方だ。日本選手は体格やパワー、スピード、そしてテクニックでも欧米選手に劣るのだからそれ以外のもので補完する。太平洋戦争でいえば、日本は物量や資源で劣るのだから兵站を伸ばさずに戦争なぞしない。そのような合理性をもつものの考え方をしなければいけない。

監督やフロントって重要だ。雰囲気や精神性に惑わされることなく、何が必要で、何を継続して実行していくかを冷静に判断していかなければならない。惨めな戦いをするのはもう真っ平だし、こういうのは経営を学ぶ過程で身につけたいろいろな知見や、『ローマ人の物語』などの歴史を知ってきた過程で手に入れた認識から生まれえた。


サッカーはいろいろと考えられる。まあそろそろ終了。

blog - サッカーは結果がすべてか?

サッカーは結果がすべてか?

否。サッカーは結果がすべてではない。冷静に考えればこれは当然のことだ。サッカーは一試合で平均2点もとれないスポーツだ。1時間半も試合をして1点か2点しかとれないこのスポーツは、その分その過程が重視され、かつ愛される。

2年前のアジア杯で日本は優勝した。確かに結果は手にした。しかしその内容はどうだったか?予選を含めてすべてぎりぎりの勝利で、内容的に満足できる試合は(中国との決勝戦を除き)一試合もなく、メディアが騒ぐほどの達成感を少なくともわたしは感じなかった。

ゴールシーンは美しい。しかしそれと同時に、中盤での駆け引き、戦略と戦略のぶつかり合い、個々の選手の個々の動き、息をのむフェイント、きわどいシュート、そして統率が取れた固いディフェンス、これらが真に美しいのだ。だから、わたしは、試合に負けたとしてもいい試合をみせたチームは賞賛されるべきだと思うし、その逆もしかりで、勝ったとしても下手な試合しかできないチームは非難されるべきだと思う。

日本は、ここ数十年は、次のような試合をして戦っていって欲しい。まず、優れた監督が生み出す優れた戦略/戦術を忠実に守り、それが没個性だと批判されたとしても歯を食いしばって、マラソンの強豪国だ、走りまくり、そしてたとえ天性のストライカーがいないとしても確率とデータを重んじ攻撃を展開し、そう、大リーグのアスレチックスや日本の千葉ロッテのように、そうして、アジアの盟主となり、南米やヨーロッパの国々と負けたとしてもいいバトルを繰り広げる。

俊輔のたまに決まる豪快なシュートだとか、FWがごくまれにみせる素晴らしい得点だとかは、そんなのはどうでもいいのだ。そんなものに浮かれてもらっては困るのだこの国には。この国では、試合の結果よりその戦略性を試合後に議論するような雰囲気、1本の豪快なシュートよりその他の十数本の得点に至らなかったシュートの評価、そして自国の状況を冷静に俯瞰し、そこに最適な戦略を当てはめるような大局観こそが求められているのだ。


日曜は六本木。みせよ日本の意地!

Wednesday, June 14, 2006

blog - わたしは下落を愉しみ、落下は握力を鍛える

人生の不調期ほど、株価の下落局面ほど、わくわくするときはない。それはわたしにとって必要不可欠な「溜め」であり、さらなる成長を約束するトリガーとなる。

先週、久しぶりにロッククライミングをして、今まで登れなかった11aというレベルのルートを完登した(ホントは1回「落ちた」から完登ではない)。1ヵ月半、筋トレとイメージトレーニングをやってきた成果だ。そしてその前には今まで登れていたルートを登れなかったという挫折があった。

厳しい道を歩めば歩むほど、厳しいルートを選択すれば選択するほど、そこには失敗があり、挫折がある。それは仕方がないことだし、わたしはそれを積極的に受け入れようと覚悟を決めているのだ。ニコールとの英会話での惨敗は、きっと1年後、わたしがペラペラになる1つの契機となっているはずだ。

わたしは失敗し、下落する。しかしそれは戦略的な失敗であり、下落である。仕事でも、勉強でも、プライベートは置いといて、この戦略的な選択は、過去様々なメリットをわたしに対して与えてきたし、これからも与え続けるだろう。例えば来年の今頃にはTimeをスキムできているだろうし、ネイティブと対等にやり取りしているだろう。

何かうまくいかないことは、それは機会を意味し、改善へのアクションというポジティブな行動を生む素材となる。こういうことをよりよく知るということは、右上がりの長期的な曲線を描く調子の線を確信できるということであるし、今日、そして明日、自信をもって日々を生きられる糧となるのだ。今年中に12レベルを完登したい。そして「30にして立ち」たい。


Our dream is coming. Our dream is realized.

blog - 日本サッカーへの提言

まず、実績のある監督を招聘するべきだ。次の4年間で大きなポイントになるのは「若手の育成/抜擢」だと思う。「日本のサッカー」を改めて築いていくとともに、基本的には若手になるほど才能のある人材がいるはずだから、小野くらいは残してもいいと思うけど、福西もいいね、ガラッとメンバーを変えてもいい。そういうことができる広い視野を持った監督が必要だ。

この4年間、日本はホントアホだった。トルシエのネガティブな後遺症から、「自由」と「創造性」を強調しすぎだった。いったい中村俊輔がどれほどの能力をもっているというのだろう。いったい高原、柳沢がどれほどのゴールハンターとしての才能を持っているのだろう。日本レベルではすごいのかもしれない。でも、世界レベルでは第2級の存在であることは冷静に考えれば明らかなことだ。

熱狂や信念や哲学は、いいときはいい方向にいい力を働かせるが、それは往々に偏屈な思い込みになり、視野を狭くしてしまい、後から見ると「なぜあんなことしたのだろう?」と小学生でも明確に疑問に思うような誤った決断を下してしまうことになるのだ。あなたやわたしや日本人にそのような性向がないと?それへの答えは「太平洋戦争を思い出しなさい」だ。

今日東証が614円の下落という今年一番の下げを記録したのとは関係ないが、まあこれは世界同時進行の株価下落の一兆候にしかすぎないのであるが、おかげで中国株市場も下がってしまってわたし的にも苦しい状況になってはいるのであるが(笑)、日本には、4年前のW杯でみせたような素晴らしいサッカーを展開してもらいたい。負けたっていいのさ。ただ、いいサッカーを。いい人生を。


韓国は勝ったようだ。日本よ、復活せよ。

Tuesday, June 13, 2006

blog - 恐れていた4年間。悪夢が現実に。

惨敗でしょう。後半30分までは良かったっていう人もいるけど、俺には、90分いいところがほとんど見出せなかった。ひどいサッカーしたよなー。ほんとひどい。

前半から暗鬱な気分を拭い去ることができなかった。まったく日本のサッカーをできていなかったからだ。ラッキーゴールに助けられたけど、ヒディング・オーストラリアに完全に手玉に取られていた。

加地が戻って、小野とか小笠原とか巻とかを先発にもってきて、これでちょっとは軌道修正できるかもしれないけど、次のクロアチア戦も悲壮な覚悟で観戦せざるをえないだろう。

「戦略なくして勝利なし」。4年前のジーコの就任から、なんかやばさを感じていた。日韓W杯のときの日本は素晴らしくて、「日本つえー」と感動した。でもこの4年間、あまり見てないせいもあるけど、そのような気持ちを抱くことはなかった。

ジーコは監督としては多分ダメです。後出しジャンケンみたいな意見で悪いけど、ずっと思っていたし、野球でいう長嶋監督みたいな存在だと思う。ブラジルやアルゼンチンの監督だったら、それでもダメだと思うけど、もっとましな監督になっていたのだろうと思う。

日本にはロナウジーニョみたいな化け物はいないし、これからも10年くらいは生まれないでしょう。だからそのようなサッカーの申し子の才能に頼るような戦略を今の日本でとるべきではなく、トルシエじゃないけど、日本人の国民性(*)に根ざしたような戦略をとるべきだった。

例えばロッテのバレンタイン監督なんて、陽気な人心掌握術が強調される側面も多いけれど、実は彼ほど緻密な野球理論を駆使してチームを監督している監督はいない。何事にもバランスは必要で、選手の自主性や創造性は確かに重要で発揮させるべきだけど、いい意味での「型にはめる」ような戦略も必要不可欠なのだ。

もう昨日の夜から考えることはサッカーのことばかりだ。この4年間の思い出のことばかりだ。サッカーを見ていると楽しくて、人の動きが予測できて、戦略性を考えるよい時間になっていた。選手やチームの知識はあまりないけれど、みながそうであるように、一旦サッカーをみるとなるとにわか評論家じゃないけど、一家言を持つ近い将来大きな組織を「監督」するべく活動する、世界経済を予測する、分析家としてのわたしがいる。

まあ、いずれにしても、次は勝つしかない。アンチジーコ派としても全力で応援する覚悟だ。しかしそれとともに、次の4年間の、このW杯をバネにしての、大きな飛躍をわたしは願って止まない。だって、人口1億、Jリーグ、経済大国、そして国民性といった要素を考えると、アジアの王者にとどまらず、「日本のサッカー」を世界に対して強く示せるようなポテンシャルがあるんだものこの日本には。


(*)
ここでいう日本の国民性とは「規律」「器用さ」「クレバー」「気合」など。

Tuesday, June 06, 2006

China - 6、7月はなさそう。。

北京に6月に行く予定だったんだけど、格安航空券がとれず、断念すると思う。残念だなあ。それにしても格安航空券はすぐに埋まってしまうね。次回からは早めにとろう!(でもなんで北京なのに航空券が5万円以上もするんだろう。。ニューヨークは3万8千円だったが?)

まあしかし、「中国を早く見てみたい」という気持ちは、実は少し落ち着いていたのだ。中国とインドは世界を知るためというか投資戦略に役立てるために早く見たかったわけなんだけど、例のジム・ロジャーズの『世界大紀行』で中国の情勢をこと細かく知ってしまって、気持ち的には何か一段落ついた感じ。

中国への再投資も済んだし(後は寝て果報を待つのみ・・・)、10月か11月くらいにゆっくり行くとしよう。事前に1ヶ月くらい中国語を勉強したいとも思っている。英語はもうやるしかないしね。というか会話力とボキャブラリーに的を絞ってあと1ヶ月くらい頑張ってみよう。ペラペラになったら次がお楽しみだ。


Let's enjoy the process?